別所隆弘

そもそも「自粛」を他人に強制するって、強烈な自己矛盾です。だって自粛とは、自分からやるものであるはずで、他者がとやかく言うものではない。それを他者に求めてしまう源泉には何があるのか。それこそ、今僕らが直面している「コロナ」がもたらしたものです。 コロナのために、僕らは「自粛を強制されざるをえない毎日」を送っています。上にも書いたように、自粛とは自ら決めることなのですから、自粛しないという選択もありえる。でも僕らは自粛するんです。なぜか。それは「他者の監視の目」が怖いからです。どこにいるかもわからない、他者のことを気にして、たかだか数十メートルゴミを捨てに外に出るのにマスクを付ける。マスクには予防効果があるというより「みんながつけているから」ということへの暗黙の同意を表象するエクスキューズとして、マスクを付ける。こうして、あの懐かしい「パノプティコン」が、全世界を席巻してしまっているんです。コロナというこの病は、僕らの世界を、全て「相互監視」の世界に変えてしまいました。個人だけではない。国同士でさえ、閉ざした扉の内側から互いを監視し、その行動をつぶさに見張っている。 このどこにも逃げ場がない抑圧の強烈さが、自分の内側に不穏な種をまくんです。「なんであいつはマスクをしていないんだ」「なぜあいつは自粛せずに海に行ってるんだ」なぜ、なぜ、なぜ。その感情の成れの果てが「自粛警察」です。本来、他者に強制するものではないはずの自粛を強要する存在。でも、その際立った矛盾にも関わらず、自分もまた、不満を抱えていることが薄っすらと自覚される。このままではまずい。自身が「自粛警察」なんていうグロテスクな存在にならないために、僕らはやらねばならないことがある。